新春招福! 元祖山手七福神めぐり (アートエバンジェリスト協会主催 2018新春イベント)
レポート:アートエバンジェリスト 坂本裕子
昨年から開催されている新春の七福神巡り。
江戸風俗研究家の藤浦正行先生の案内で、現代に残る江戸時代の片鱗に触れながら東京をめぐります。
七福神の信仰は、室町末期に生じ、ほぼ現在のかたちになったのは江戸時代。
「七難即滅、七福即生」の説に基づいて、七福神を参拝すると7つの災難が除かれ、7つの幸福を授かるという民間信仰です。江戸中期から後期にわたり江戸で大流行し、各地に七福神が祭られます。
現在確認できるのは都内で36か所もあるのだとか!
よく知られているのが「谷中七福神」、「山手七福神」、「隅田七福神」の3つで、おそらくは谷中がもっとも古くに成立したものと考えられるそうです。
そこには、単に信仰や願掛けだけではなく、江戸の町を散策する楽しみや、寺前での買い食い、そして七神のコンプリート、という楽しみがあったのでしょう。さながら現代のスタンプラリー(笑)。

山手七福神コース(出典:目黒区ホームページから)
新春には、ふだんは非公開の七福神像がご開帳されます。その期に、江戸から舞い戻ってきたかのように活き活きと当時の庶民の姿を描き出してくれる先生のガイドで、招福のお散歩です。
昨年の「隅田七福神」に続き、今年は「山手七福神」。港区白金台から目黒区下目黒一帯のお寺に安置されている七福神を参ります。ここには、江戸の郊外ながらも多くの参詣者で賑わい、浮世絵にも描かれた「目黒不動」(龍泉寺)が含まれています。
また、このエリアの七福神には「元祖」という枕詞がついています。その由来も廻りながら確認します。
快晴といえる晴天に恵まれた昼過ぎ、白金高輪駅に集合。
ここで、七福神の由来や今日のコースについて、先生から事前レクチャーを受けて出発です。
基本的には目黒通りをたどるのが山手七福神。今回は、白金高輪から目黒不動へと下りますが、逆から登るコースもあり、商売繁盛を望む人は「登り」から、無病息災、長寿祈願の人は「下り」から、といわれているそうです。(やっぱり楽して儲けることはできないのか・・・笑)

集合は白金高輪駅で。出発前のレクチャーで江戸七福神の成り立ちと今日のコースを確認。
■覚林寺(清正公):毘沙門天
まずは、仏教の守護神で七福神中唯一武装した神、毘沙門天に災難除けを祈願します。
ここには、秀吉に仕え、朝鮮半島でも活躍、武門で知られる加藤清正公が祭られており、彼の本尊である釈迦牟尼仏が本尊です。勝戦につながることから、商売や受験祈願に訪れる人も多いそうです。

港区文化財に指定されている山門をくぐると、本堂より立派な清正公堂が。こちらも区指定文化財です。

毘沙門堂は対面の祠に。
今回のメイン、毘沙門天さんは、隅っこに・・・(汗)。
とはいえ、幟も立って、参拝者も次々と訪れていました。
各自、御朱印やご神体を求めます。
この時期には、ご神体が贖えるのがポイント。
今年は小さなダルマです。たくさん並ぶ中から、直感に従い、あるいは目が合ったご神体を選べます。
■ 瑞聖寺:布袋尊
石碑を目印に左折してしばらく行くと、ちょっと変わった鳥居のような山門が見えてきます。
現在境内の入り口になっていますが、本来は裏門だったそうです。江戸時代に始まった禅宗、黄檗宗のお寺です。

ビルの間を通る、やや不思議なアプローチは都心部ならでは?突然現れる山門は形が印象的です。

都指定重要文化財の本堂
禅宗らしく、がっしりとした本殿は都指定の重要文化財。正面からの参道がふさがれていて、脇からしか参拝できないのは残念でしたが、青空に剛健なたたずまいでした。
ここでは、豊かな暮らしと家庭円満の守護神、布袋さんに参ります。
現在庫裡の建設工事中で、御朱印はプレハブの寺務所で求めました。完成後にはまた全体も雰囲気が変わるのだと思います。
■ 妙円寺(白金妙見):福禄寿尊・寿老人尊
ふたたび目黒通りから鉄パイプ(!)に嵌った扁額を目印に路地へ。坂を下ると、足利義輝から拝領したといわれる妙見さまを祭る日蓮宗のお寺、妙円寺です。
本堂の右手に幸福、財産、長寿の神様・福禄寿尊と、学芸、智慧、長寿の守護神・寿老人が一緒に安置されています。二人の神様は同一視されることもあるそうです。

うっかりすると見落としそうな入り口。幟を目印にして。お参りはなかなかに盛況です。

帰りはなかなかに急な上り坂でした。
靴を脱いで参拝します。正座で拝む長寿の2神さまには、ほっこりした気分に。
お寺のちょっと先にある公園でしばしの休憩。
先生と雑談交え、江戸の七福神巡りの流行ぶりや、それぞれのルートでのおススメお菓子などの情報をいただきました!
■ 大円寺:大黒天
庭園美術館の前を通り、住所は港区から目黒区へ。
目黒の駅前を過ぎると、急な下り坂の途中に五穀豊穣の神・大黒様を祭る大円寺があります。ご本尊は釈迦如来。こちらの立像は国指定の重要文化財です。

キャラクターを感じさせる楽しげな字体の看板。さすがに大盛況の大黒天さんのお堂。その像も大きくたくましいです。

大火の被害者に救いをもたらします。
ここは、1772年の「明和の大火(通称 行人坂火事)」の火元となったところ。
放火が原因とされ、再建の許可がなかなか幕府から下りず、1848年、江戸時代の後期にようやくその菩提寺として再建が許されました。
このため、境内に祭られたたくさんの地蔵菩薩には、被害者の追悼の想いが込められ、壮観な風景になっています。
■ インターミッション
目黒川を、「太鼓橋」から渡ります。
いまや「太鼓」の面影がないコンクリートの橋になっていますが、その由来を石碑で確認してから、まだ江戸の面影を残している目黒川を望みました。

石碑の前で先生の解説を聞きます。橋の真ん中から下流を望む。
■ 蟠龍寺(岩屋弁天):弁財天
目黒通りが山手通りと交差するそばの歩道橋を渡ると、蟠龍寺です。
ここの門前には、「江戸最初」の大きな案内板がありました。そして参道を進んで、いよいよその「最初」の由来である石碑とご対面です!

「元祖」の由来の石碑はひっそりと…
正面下部に「江戸七福神」、側面に「安永四年」の文字が刻まれています。
が、すっかり植木の中に隠れるようになっていて、先生の案内がなければ見落としてしまいそう(汗)。
浄土宗寺院の本堂には、都指定重要文化財の木像阿弥陀如来像が安置されています。
入り口の案内板と阿弥陀如来像がご開帳されている本殿。小さいながら寺内をめぐる庭園も趣があります。

入り口の案内板と阿弥陀如来像がご開帳されている本殿。寺内の庭園も楽しんで。

岩の中の弁天様は普段でも拝観できます!
そして、ここにはふたつの弁財天様がおわします。
江戸の裏鬼門の鎮守として岩窟に石造りの弁財天、弁天堂内に木造の弁財天の2躰。石造りの方はややふくよかなどっしりとした女神様で、木造の方は八臂の天女様です。
知恵や財をつかさどり、音楽・芸術などの上達にご利益のある弁天様が2人とは、心強い(笑)。
■ 竜泉寺(目黒不動):恵比寿天

立派な山門には阿吽像も。
境内の外周をぐるっと廻って、いよいよ最後のスポット、江戸人にも大人気だった目黒不動(竜泉寺)に到着です!
関東最古の不動霊場として建てられた天台宗のお寺は、江戸五色不動のうち、目黒不動が祭られ、いまも江戸時代の寺内の様子を遺す一大寺院です。
当時は江戸の郊外でしたが、あまりの人気ぶりに、例外的に町奉行所の管理地域として江戸古地図にも記されたほど。

本堂とは離れて設置された恵比寿堂ですが、きちんと鳥居と参道がしつらえられています。みんなで最後のご参拝。

銭洗い場。小さな金籠に入れて洗います。
こちらには商売繁盛、多幸をもたらす恵比寿様がおわします。山門の手前にお堂が別途設置されています。
七福神巡りだけで済ませたい人には、便利(?)な配慮です。
そばには、恵比寿様ならでは、銭洗いの場も設けられて、五円(ご縁)と一緒に洗った銭を持ち帰ると増えるとか・・・。

男坂を上りきると本堂が威容を誇ります。
御朱印を待つ間、せっかくなので、本堂のお不動さんにも参拝。
男坂の急な階段を上り、帰りは女坂で。
読経が行われており、荘厳な雰囲気でしたが、残念ながら、目の黒さは遠くて確認できず・・・(笑)。
御朱印、ダルマ、すべてコンプリートして、記念写真。
まだ陽のあるうちに終わることができる、順調な七福神巡りでした。

最後にみんなで記念撮影

今年のダルマと御朱印&畳紙(たとうし)
この後は、目黒不動駅の近くで有志の新年会(といっても全員参加:笑)。
江戸の着物の話から現代アートまで、自由に和やかに過ぎていきました。
まだ新春明けて間もないながら、早くも藤浦先生は、来年の深川七福神巡りをご計画(笑)。
ぜひ、来年はご一緒しませんか?